川崎 教会 とりなしの祈り 家の教会

2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)


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『なぜ旧約聖書を読まねばならないのですか?』 牧師コーナー(687)

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 イースターが終わり、今、私たちは日々のみことばで旧約聖書の民数記を黙想しています。信仰告白をしたばかりの方や、聖書の全体的な意味がよく分からない方々がよくいだく疑問がひとつあります。
 それは「旧約聖書はユダヤ人(イスラエル)の歴史なのに、なぜ外国人である私たちがイスラエルの歴史を読み、学ばないといけないのか?」という疑問です。その答えはとてもシンプルです。それはイスラエルの歴史を通して、現れる神のみこころを知るためなのです。
 旧約聖書は、神様がどのようなお方であるかを論理的に説明する書物ではありません。イスラエルの民の生き方(歴史)を通してご自身を現す、神を伝える本だと言えます。
 例えば、子どもを育てる親の教育観を見ると、その親はどのような人なのかを知ることができます。わが子が学校で友だちと喧嘩をして、殴られて鼻血を流しながら、痣だらけで泣きながら帰って来たとしましょう。その時「男のくせに、負けて殴られて帰ってきたのか?」と叱るとしたら、その父親は攻撃的で負けず嫌い人であることがわかります。さらに、自分の子を殴った友だちのところに行き、その子まで叱るとなれば、その父親はかなり荒々しい暴力的な人だと言えるでしょう。
 しかし、殴られて帰って来て、悔しいと泣いているわが子を見て、大丈夫だとなぐさめ、怪我を治療しつつ「あなたを殴った子を許して友だちになってあげたら?」となだめる父親は、とても思いやりがあり、あわれみ深い人だと言えます。
 同じように、民数記をはじめとする旧約聖書の様々な律法書を読み、私たちは何をすべきで、何をしてはいけないのかを知り、神様はどのようなお方なのか、そのみこころを学ぶのです。また、詩篇などの詩書を通して、神様がいかに偉大なお方なのかを教えられ、歴史書と預言書を通して、ご自分の民に対する神のあわれみと愛について教えられるのです。
 なぜ旧約聖書を読み、学ばないといけないかについて理解する時、今、黙想している民数記がもっと身近に感じられ、また彼らの歴史を通して教えられる神の意図とみこころをさらに深く悟ることができると信じます。

趙 南洙師



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